2017.06.28
恵比寿の夜の夢 Vol.2
「ボンド・マティーニですね」
「そう。好きなんだ」
慣れた様子でバーテンと会話を交わす客の男。
夜の恵比寿にもまるで気後れすることなく、男は実にリラックスした様子でカウンターに腰掛けている。
一目見た時から、優子は男から目が離せなくなっていた。
日本人にしてはやや彫りの深い顔立ち。太く芯のある鼻筋に、肉感的な魅力を持った厚手の唇……
暗い店内だからと遠慮なく凝視しすぎたものか、男がついと顔をあげた。
少し驚いたような男の視線と、熱をもった優子の視線がカウンター上で絡み合う。
「失礼。僕の顔になにか?」
「あっ、いえ」
そう声をかけられ、優子はようやく我に返った。
と同時に、これまで蚊帳の外にあった恥じらいが顔をもたげ、?のあたりがカッと熱くなる。
初対面の人の顔を、ことわりもなくしげしげと見つめるなんて。
こんな失態を犯したことなど過去にはなかった。もしかすると、安酒に少し酔ったのかもしれない……
「不躾だったらごめんなさい。その……。あなたの香水、すごくいい香りだったから」
咄嗟に思いついた言い訳を口にすると、男は口角を緩やかに持ち上げた。
「分かります? 嬉しいな。これ、オリジナルでブレンドしてもらったんですよ」
オリジナルブレンドの香水。
優子の嗅覚がピンと働く。
この男、洒落ているだけでなく、フトコロにも結構余裕があるんじゃないかしら?
チェーンネックレスの絡まりをなおすふりをしながら、優子は少しシャツの首元をくつろげた。
頬に浮いたテカリも、指の腹でさっと拭う。
そんな優子の内心にはまるで気付かない様子で、男は人のいい笑顔を浮かべて言った。
「待ち合わせですか?」
「いいえ。さっきまで会社の飲み会だったんですけど……ちょっと疲れちゃって。女一人で飲み直し」
「奇遇だな、僕もなんです」
バーテンからマティーニを受け取り、男は「隣に座っても?」と問いかけた。もちろん、優子に断る理由はない。
男が動くと、やや遅れてベルガモットの香りが優子の鼻をくすぐった。男も少しく酔っているのだろう、体温の高まりに応じて、香りもその強さを増している。
カウンターに並んで腰掛けた二人は、控えめにグラスを掲げ合った。
乾杯。ささやきに近い声で言いながら、優子は今日の下着がどんなだったかを思い出そうとしていた。
多分、黒いレース地の上下だったように思う。あとで念のため確かめておかなければ。